共和党(GOP)が批判するCritical Race Theory という言葉を最近ニュースで見かけるが、何を意味するのだろう?また、どうしてこの言葉が批判されるのか?文化的背景、政治的文脈を考慮して考えよう。
Critical Race Theory (CRT) の意味
まずはウィキペディアからの定義の引用を見ていこう。
a collection of critical stances against the existing legal order from a race-based point of view
Roy L. Brooks
現存する法律を人種の立場から厳密に見直そうとするスタンスの総称
ロイ・L・ブルックス 筆者訳
もう一つ;
a collection of activists and scholars interested in studying and transforming the relationship among race, racism, and power
Richard Delgado
人種、人種差別、パワーの相互関係を研究、そしてそれを変革しようとする活動家や学者の集合
リチャード・デルガド 筆者訳
前にも触れたSystemic Racism・システミックレイシズムと言う言葉がある。それは人種差別はたんなる個人の差別的な見解の集合体だけではなく、社会的なシステム、例えば法律などを通して、組織的に、ある人種に対して不公平な取り扱いをすることを指す。システミック・レイシズムの実態を捉え、正す、と言うのがクリティカル・レイス・セオリーだ。

これらの定義は、「理論 (theory)」の定義としてはイマイチ腑に落ちない。「複数の観点」は理論と言えなくもないが、collection of people、「人の集合体」は「理論」ではない、と僕は思うのだが。
なぜ最近よく聞くのか?
2020年9月に、フォックス・ニュースで「Critical Race Theory (CRT)」を批判する番組を放送した。それを受けて、ドナルド・トランプが、「CRT」や「White previlige (白人特権)」という言葉を含むプログラムに対する政府の補助金をキャンセルした。
そして2021年に入ってから、保守派のGOPが権力を握っている州、アイダホやフロリダなどで、学校教育のプログラムで人種差別を教えることを制限、禁止する法律を施行し始めたのだ。
CRTに対する批判
CRTという言葉自体は80年代頃から普及している。そしてCRTに対する批判も以前から存在している。
全ての人は肌の色に関係なく平等に扱われるべきだ、という考えから、人種や肌の色に左右されない、人種を考慮しない法律、いわゆる「Colorblind 色盲」の法律の考えがある。CRTは、法律を「カラー・ブラインド」するだけではシステミック・レイシズムは改善されないと考える。

その考え方の実際の適用の例として、Affirmative Action(アファーマティブ・アクション) がある。
例えば大学の入試試験や、企業の入社試験などの選考において、人種別の枠を設け、白人以外の恵まれない環境で育った人種の人にも社会的チャンスの枠を広げようと言うものだ。つまりこの場合、ルールや法律はカラーブラインドでない。
この方法では、同じ能力、あるいはより優れた白人の生徒が、学力の低いマイノリティの人種の生徒のために選ばれないという事態が起こってくる。
「逆人種差別」と批判されるのはよく分かる。
しかし、さらに別な観点から考えると、マイノリティの子供の生まれ育った環境は、良い教育や機会、人脈に恵まれていない場合が多いのも現実である。
保守派の情報操作
こうした批判を利用して、保守派は、Critical Race Theoryこそが人種差別であり、反アメリカ的である、と唱え、CRTという言葉を利用して、人種差別の運動そのもの、また人種差別の歴史の教育などを抑制しようしている。

最近のCRT批判運動を起こした本人は、言葉の定義を意図的に混乱させ、リベラルの「クレイジー」な考えは全てCRTというレッテルで批判する、という動機を自ら認めている。
The goal is to have the public read something crazy in the newspaper and immediately think ‘critical race theory,
Christofer Rufo
目的は、人々が何かとんでもないニュースを聞いたらすぐにクリティカルレイスセオリーを連想するようにする事
クリストファー・ルフォ 筆者訳
つまり、CRTという言葉を使って、全ての反差別運動、特にBLM(Black Lives Matter)の運動を抑制しようと言うわけだ。

まとめ
最近よく目にするCritical Race Theoryの概要を見てみたが、2つの要点がある。
法律、組織が「カラーブラインド」であるだけなく、マイノリティ人種に対してある程度の優遇処置をとるべきだとするCRTの観点から発生する批判。
CRTというレッテルを利用して人種差別に関する考慮の全てを拒否しようとする保守派の最近の動向。
個人的には、法律やルールはカラーブラインドであるべきだと考える。Affiemative Actionという考えはかなりの無理がある。システミック・レイシズムを改善する方法としては、問題の根本を見直すと言うより、結果の現象を小手先で修正しているようなものだ。
しかし、そんな批判を利用して、プロパガンダ的に言葉のニュアンス変える保守派のやり方、また、それを自分で考える事をせずに、鵜呑みにしてしまう人の多さ、そして、そのコンビネーションがもたらす結果の怖さを感じる。
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