有名卒業スピーチ、”This is water” 読解分析[2]

英語レッスン

作家、デイヴィッド・フォスター・ウォレスの卒業スピーチの続きを、”アナ訳”

しながら一文づつ追って分析していきます。最後には僕が訳した完全日本語訳つき。

POINT

アナ訳とは単なる訳ではなく、英語の流れをそのまま情報として日本語にするもの。だから日本語として正しい語順に直したりしない。そしてアナテーション、注が入る。だから日本語の文として理解せずに、情報の塊が順次入ってくる状態で抽象的に理解する感じで読んでいこう。

“This is water” A commencement speech by David Foster Wallace Part-2

Of course the main requirement of speeches like this is that I’m supposed to talk about your liberal arts education’s meaning, to try to explain why the degree you are about to receive has actual human value instead of just a material payoff.

もちろん、このようなスピーチに主に求められることは以下: 私は話すこと期待されている、あなた方が学んだリベラルアート教育の意味について、そして説明を試みること、なぜあなた方が授与される学位に人間的な価値があるのかを、(その学位は)物欲を満たすためではなく。

So let’s talk about the single most pervasive cliché in the commencement speech genre, which is that a liberal arts education is not so much about filling you up with knowledge as it is about “teaching you how to think.”

そういうことだから、話すことにしよう、卒業スピーチの範疇でもっともよくある、言い古されたことを、それは何かというと以下→リベラルアートの教育はあなたに知識を詰め込むというよりは、「考える方法について教える」ということ。

If you’re like me as a student, you’ve never liked hearing this, and you tend to feel a bit insulted by the claim that you needed anybody to teach you how to think, since the fact that you even got admitted to a college this good seems like proof that you already know how to think.

もしあなたが、学生だった時の私のようであれば、こんな事を聞くのが好きなんて事はなく、そして、このような意見に少し侮辱された気になる傾向があると思う。どんな意見だというと以下→あなたが誰かを必要とする、あなたに考え方を教えるために、なぜならこの事実→これだけ良い大学に入学できた事自体が証拠になるあなたがすでにどのように考えれば良いのかを知っている事。

But I’m going to posit to you that the liberal arts cliché turns out not to be insulting at all, because the really significant education in thinking that we’re supposed to get in a place like this isn’t really about the capacity to think, but rather about the choice of what to think about.

 しかし、以下の事を事実として君たちに提示したい、以下→このリベラルアートの言い古された表現は侮辱的なものでは全くなかったことが分かったという事実。なぜなら、考え方についての本当に重要な教育このような教育機関で受けることになっている教育、は考える能力についてではなく、何について考えるかを選択することについての教育だからだ。

If your total freedom of choice regarding what to think about seems too obvious to waste time discussing, I’d ask you to think about fish and water, and to bracket for just a few minutes your skepticism about the value of the totally obvious.

もしあなたの完全な選択の自由、何について考えるのかについて、があまりにも明白で議論するだけ時間の無駄だと考えるならば、魚と水について考えて欲しい、そして数分でも疑うのを抑えて欲しい、全く当たり前の事の価値について(の疑い)。

「これは水です」(パート2) 筆者日本語訳

もちろんこのようなスピーチに主に求められることは、あなた方が学んだリベラルアートの教育が、単に学位という「物」を代償として受け取るものだけではなく、実際に人間的な価値があるという理由の説明を試みることであります。

と、言う訳なので、リベラルアートの教育は知識を詰め込む事ではなく、考える方法を教育するものである、という、卒業スピーチではよく言われる事について話す事にしましょう。

あなたも、私が学生だった時と同じように考えているとすると、こんな話を聞かされるのは嫌だと思うでしょう。こんな良い大学に入学出来た事自体がすでに「考える方法」を身につけている証拠なのに、今更、考える方法を誰かに教えてもらわなければならない、とは侮辱だと考えるのではないでしょうか。

でも、そんな聞き飽きたリベラルアートについての話も、よく考えると侮辱的なものでは全く無い事を説明させてください。こんな教育機関で学ぶ事になっている、「考え方」についての本当に重要な教育とは「考える能力」ではなく「何について考えるのかを選択すること」についての教育なのです。

何について考えるのかを選択する自由は当たり前の事であり、議論する時間さえ無駄と思っているのであれば、あまりにも当たり前なために価値が無い、と考える事を数分の間やめて、魚と水の話について考えてみて欲しい。

Yojo
Yojo

この辺で今日は終わりにします。次回へ続く。質問があればぜひコメント、連絡ください。原文とスピーチの録音はこちら

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