シリーズ第4回目、有名な卒業スピーチ「これは水です」の読解、アナ訳の続きです。
アナ訳とは単なる訳ではなく、英語の流れをそのまま情報として日本語にするもの。だから日本語として正しい語順に直したりしない。そしてアナテーション、注が入る。だから日本語の文として理解せずに、情報の塊が順次入ってくる状態で抽象的に理解する感じで読んでいこう。
新たに、筆者拙訳の完全日本語翻訳を追加しました。

[アナ訳] “This is water” A commencement speech by David Foster Wallace
The point here is that I think this is one part of what teaching me how to think is really supposed to mean.
ここでのポイントは以下: 私が思うにこれは一つの部分→考える方法を教えるという事が意味する本当のもの。
To be just a little less arrogant. To have just a little critical awareness about myself and my certainties.
それは傲慢さを少し抑えると言うこと。もう少し厳密に考えること、自分の事や、自分が確信していることについて。
Because a huge percentage of the stuff that I tend to be automatically certain of is, it turns out, totally wrong and deluded.
何故ならば、かなりの割合の事柄→私が自動的に確信する傾向がある(事柄)は、後に判明する、間違っていたり、勘違いしているからだ。
挿入されている “it turns out” の表現は turn の投稿を参照。
I have learned this the hard way, as I predict you graduates will, too.
私はこの事を難しい方法で学んだ、私が予言するに、卒業する君たちも同じようにする(=難しい方法で学ぶ)。
Learn it the hard way は表現で実際に自分で失敗して痛い目にあって物事を学ぶと言う意味。
Here is just one example of the total wrongness of something I tend to be automatically sure of: everything in my own immediate experience supports my deep belief that I am the absolute centre of the universe; the realest, most vivid and important person in existence.
ここで一つの例、完全な間違い、自動的に思い込む傾向のある事の、それはこれ: 自分が直接に経験する事全ては、裏付ける、私の根深い信念を→私が絶対的な世界の中心で、最もリアルで、生き生きとしている、そして最も重要な人間である、存在する人の中では。
We rarely think about this sort of natural, basic self-centredness because it’s so socially repulsive.
私たちはこの事についてはあまり考えはしない、この種類の自然な、基本的な自己中心的な感覚(については)、何故ならば社会的にはとても嫌われるから。
But it’s pretty much the same for all of us.
でもこれはほぼ全員に当てはまる事だ。
It is our default setting, hard-wired into our boards at birth.
これは人間の初期設定だ、生まれた時からすでに回路に組み込まれている。
Think about it: there is no experience you have had that you are not the absolute centre of.
考えてみてほしい。今までの経験のうちで、自分が絶対的中心ではなかったものはない。
The world as you experience it is there in front of YOU or behind YOU, to the left or right of YOU, on YOUR TV or YOUR monitor. And so on.
世界を経験するにあたっては、世界は自分の前、あるいは自分の後ろ、自分の左や右、自分のテレビや、自分のモニターにある。そんな具合だ。
Other people’s thoughts and feelings have to be communicated to you somehow, but your own are so immediate, urgent, real.
他人の考えや感情は何らかの形であなたに伝えられる必要がある、自分自身のもの(考えや感情)は直接的で、緊急で、現実的なのだ。
Please don’t worry that I’m getting ready to lecture you about compassion or other-directedness or all the so-called virtues.
以下の事を心配しないでください→私があなたに教訓しようとしていると、思いやりとか他人の立場に立つ事とか、いわゆる美徳についてを。
This is not a matter of virtue.
これは美徳に関する問題では無いのです。
It’s a matter of my choosing to do the work of somehow altering or getting free of my natural, hard-wired default setting which is to be deeply and literally self-centered and to see and interpret everything through this lens of self.
これは私が意識的に選択する問題なのです、どうにかして変更、あるいは捉われないように努力する(という選択)、元からすでに組み込まれている初期設定→それは根深く、文字通り自己中心的なもの、そしてこの自己というレンズを通して物事を見て、解釈する(という初期設定)。
People who can adjust their natural default setting this way are often described as being “well-adjusted”, which I suggest to you is not an accidental term.
このような生まれながらの初期設定を調節できる人々は往々に描写される、「うまく順応している」と、その言葉は、ここで皆に提案したいのですが、偶然的に作られた言葉では無いのです。
「これは水です」[パート4] 筆者日本語訳
考える方法を教える事が本当に意味する1つの側面がこのポイントなのです。つまり、この様な放漫さを少し抑えると言うポイントです。自分自身や、自分が確信している事についてもう少し厳しく見直す事なのです。
何も考えずに自動的に確信してしまう様な事柄は、往々にして、全くの間違いであったり、誤認識してしている場合がとても多いからなのです。私はそんな事を失敗を通じて学びました。おそらく卒業するみなさんも同じ様に学ぶ事になります。
私自身、何も考えずに勝手に確信してしまう傾向のある事が、実は全くの間違いであった、という一例を挙げましょう。自分自身が直接に経験するすべての事は、自分が宇宙の絶対的な中心であり、もっとリアルで、生き生きとした、最も重要な存在であることを裏付けているという確信です。
社会的に嫌われる考えなので、このような、ある意味では自然に、元からある自己中心的な感覚について、我々はあまり考慮しません。しかしこれは、ほぼ全ての人が感じる事ではないでしょうか。生まれつき、すでに回路に組み込まれている初期設定であるのです。考えてみてください。今までの経験の中で、自分が絶対的中心ではないことは一度も無かったのではないでしょうか。物事を経験する時には世界は自分の目の前に、自分の後ろに、自分の左や右、自分のテレビ、自分のモニターにあると感じる、といった具合です。
他人の考えや、感情などは何らかの形であなたに伝えられないとわかりませんが、自分の考えや感情は全く直接的で、リアルに臨場感があります。
これから私が、思いやりとか、他人の立場に立つ事とか、そんな美徳について教訓を垂れるつもりはないのでご安心ください。これは美徳には関係の無い話なのです。
文字通り自分を中心として考える根強い傾向、全てを「自分」というレンズを通して見て、解釈してしまう、生まれた時からすでに組み込まれている初期設定を、自分で意識して変えたり、それに捉われないように努力しようとする。それがポイントなのです。
このように、生まれながらの初期設定を自分で調節できる人間は「うまく順応している」とよく言われますが、「順応」という言葉が使われるのには相応な理由があることを指摘させてください。

どうかな?日本語で難しかもしれない内容だけれど、デイヴィッドの言っていることは分かるだろうか?次回に続く!
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