評判が高い卒業スピーチ、「これは水です」読解分析 [パート5]

英語レッスン

シリーズ第5回目、スピーチ読解、アナ訳の続きです。

アナ訳とは単なる訳ではなく、英語の流れをそのまま情報として日本語にするもの。だから日本語として正しい語順に直したりしない。そしてアナテーション、注が入る。だから日本語の文として理解せずに、情報の塊が順次入ってくる状態で抽象的に理解する感じで読んでいこう。

[アナ訳] “This is water” A commencement speech by David Foster Wallace

Given the triumphant academic setting here, an obvious question is how much of this work of adjusting our default setting involves actual knowledge or intellect.

この大学の素晴らしい学術的背景を考慮すると、明白な質問はこの初期設定を調整する作業にはどれだけの実際の知識や知性が必要となるかと言うことです。

This question gets very tricky.

この質問はとても微妙で難しい。

Probably the most dangerous thing about an academic education–least in my own case–is that it enables my tendency to over-intellectualise stuff, to get lost in abstract argument inside my head, instead of simply paying attention to what is going on right in front of me, paying attention to what is going on inside me.

おそらく、学問の教育で最も危険な事は、少なくとも私のケースでは、以下の事だ→物事を知的に考えすぎる傾向を助長する、自分の頭の中での抽象的な議論に捉われる、自分の目の前で起こっている事に注意を払う代わりに、自分の頭の中の事に気を取られる

As I’m sure you guys know by now, it is extremely difficult to stay alert and attentive, instead of getting hypnotized by the constant monologue inside your own head (may be happening right now).

君たちもすでに知っていると思うけれど、それ(→)はとても難しい(→)常に気をつけて注意を払う事、代わりに自分の頭の中で常に行われている独り言に気を取られている。(今この瞬間にも多分起きているかもしれない)。

Twenty years after my own graduation, I have come gradually to understand that the liberal arts cliché about teaching you how to think is actually shorthand for a much deeper, more serious idea:

自分自身、卒業してから20年間、だんだんと理解するようになった、以下を: リベラルアートお決まりの文句、どうやって考えればいいのかを教えるという(決まり文句)、は、実際には、省略したもの、(何を省略したかと言うと)もっと深く、もっと大事な考え(を)、それは以下: 

learning how to think really means learning how to exercise some control over how and what you think.

どうやって考えればいいのかを学ぶと言うのが実際に意味するのは、ある程度、自分で意識してコントロールする方法を学ぶと言う事、→どのように、何について考えるかを(コントロール)。

It means being conscious and aware enough to choose what you pay attention to and to choose how you construct meaning from experience.

意味するのは、周りの事を知覚して、気を配る事、選択が出来るのに充分なくらい、何に対して意識を配るのか、そしてその経験からどのように意味を見いだすのかを(選択出来る)。

Because if you cannot exercise this kind of choice in adult life, you will be totally hosed.

何故なら、大人として生きるのにおいては、この手の選択を出来ない場合、全く最低なものになるからだ。

POINT

be hosed = 水をかけられる = 困った事になる=不幸な事になる=ダメになる=最低な事になる

Think of the old cliché about “the mind being an excellent servant but a terrible master.”

昔からあることわざ「意識とは優れた下部であるが、最悪な主人である」というのを思い出して欲しい。

This, like many clichés, so lame and unexciting on the surface, actually expresses a great and terrible truth.

このことわざ、その他の言い古されたことわざと同じように、表面的には本当に面白くなくて、飽きてしまうけれども、実際には表現する、とても素晴らしく、どうじに恐ろしい事実を。

It is not the least bit coincidental that adults who commit suicide with firearms almost always shoot themselves in the head.

これ(→)は偶然では全く無い、(→)自殺する大人は、銃を使って、ほぼ通常自分の頭を撃ち抜く。

They shoot the terrible master.

最悪な主人を撃ち殺す訳だ。

And the truth is that most of these suicides are actually dead long before they pull the trigger.

そして事実はこれ→この手の自殺のほとんどは、すでに死んでいるのも同然、引き金をひくよりずっと前に。

「これは水です」[パート5] 筆者日本語訳

この初期設定を調節する作業には、実際どれだけの知識や知性が必要になるのか、という疑問は、この大学の様に輝かしい教育機関でスピーチしていることを考えると、当然起こります。その質問は考えてみると意外に難しいものです。

少なくとも私個人のケースでは、学問教育がもたらす可能性がある最も大きな害とは、私にそもそもあった、物事を知的に考えすぎる傾向を助長してしまう点です。自分の中で繰り広げる抽象的な討論に夢中になって、目の前で起こっている事をそのまま観察せずに、自分の内面で起こっていることに意識を奪われてしまう、という点なのです。

皆さんは既にお気付きの事でしょうが、自分の頭の中でひたすら続けられる独り言に気をとられるあまり、自分の周りに意識的に注意を払うことは非常に難しいのです。(今まさにそんなことが起こっている可能性も大いにあります。)

私自身、卒業してからの20年の間、徐々に、「考える方法を教育する」というリベラルアーツの決まり文句は実はもっと深い、より重要な考えの省略版であったことが分かってきました。それは、「考える方法を勉強する」という本当の意味は、何について、どのように、考えるのかを自分で選択する能力を養うということです。

つまり、何に対して意識を向けるのかを選択できる、そして経験からどうやって意味を見出すのかを選択できるために、周りのことを知覚して、気を配ることを意味します。

なぜなら、大人として生きて行くに当たって、このような選択を自分で出来ないと全く惨めになるからです。

昔からある使い古された「意識とは優れた家来だが、最悪な主人である。」ということわざを思い出してください。このことわざ、その他の決まり文句と同じ様に、表面的にはとてもくだらなく、面白く無い様にに聞こえますが、実際には偉大な、そして時には残酷な真実を伝えます。大人が銃で自殺する場合はほぼ通常、自分の頭を撃つのは偶然ではないのです。最悪な主人を撃ち殺す訳です。そしてこの手の自殺をする人間は、引き金を引くずっと前から死んでいるのも同然であります。

Yojo
Yojo

シリーズ第5回目、結構長いセンテンスがあるけれど、構造を見て、骨組みだけにすると単純な文であるのが分かる。

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