シリーズ第6回目、 David Foster Wallace の卒業スピーチの読解、アナ訳の続きです。
アナ訳とは単なる訳ではなく、英語の流れをそのまま情報として日本語にするもの。だから日本語として正しい語順に直したりしない。そしてアナテーション、注が入る。だから日本語の文として理解せずに、情報の塊が順次入ってくる状態で抽象的に理解する感じで読んでいこう。
[アナ訳] ”This is water” A commencement speech by David Foster Wallace
And I submit that this is what the real, no bullshit value of your liberal arts education is supposed to be about:
そして、私は以下を述べたい→これが本当の、インチキなしのリベラルアート教育が教えるべき事: (それは以下)
how to keep from going through your comfortable, prosperous, respectable adult life dead, unconscious, a slave to your head and to your natural default setting of being uniquely, completely, imperially alone day in and day out.
どのようにして防ぐか、あなたの快適で、繁栄的な、尊敬される大人の人生を(→)のように送ることを、(→)死んだように、無意識に、自分の思考の奴隷となって、自然に備わった初期設定の奴隷となって(人生を送る事を)、(初期設定とは)独自に、完全に、崇高に一人きり、来る日も来る日も。
That may sound like hyperbole, or abstract nonsense.
そう言うとこう聞こえるかもしれない、大げさに、あるいは観念的で無意味な事だと
Let’s get concrete.
では具体的に行こう。
The plain fact is that you graduating seniors do not yet have any clue what “day in day out” really means.
明白な事実は以下: 卒業生の皆さんはまだ全く分かっていない、「来る日も来る日も」というのが実際にどんなものなのか。
There happen to be whole, large parts of adult American life that nobody talks about in commencement speeches.
そこにはまるまる、大きな部分があるのだ、大人としてアメリカで生きると言う事の、卒業スピーチでは誰も取り上げない。
One such part involves boredom, routine and petty frustration. The parents and older folks here will know all too well what I’m talking about.
そんな部分の一つは、退屈で、毎日同じことの繰り返しで、些細な苛立ちに満ちている。ここにいるご両親や、年配の方々には、私の言っている事が痛いほど分かるだろう。
By way of example, let’s say it’s an average adult day, and you get up in the morning, go to your challenging, white-collar, college-graduate job, and you work hard for eight or ten hours, and at the end of the day you’re tired and somewhat stressed and all you want is to go home and have a good supper and maybe unwind for an hour, and then hit the sack early because, of course, you have to get up the next day and do it all again.
例の一つとして、大人の人生の平均的な一日はこんな具合だとしよう。朝起きて、出勤する、やりごたえのある、大卒が働くような事務の仕事に、そして8時間あるいは10時間懸命に働く、そして一日の仕事の後、披露してなんだかストレスが溜まって、家に帰ることだけを望んでいる、そして美味しい夕食を食べて、たぶん1時間ほどリラックスして、早めに床につく、なぜなら、もちろん翌日も起きて同じことを繰り返さなければならないからだ。
But then you remember there’s no food at home.
でもそこで家に何も食べるものがないことに気がつく。
You haven’t had time to shop this week because of your challenging job, and so now after work you have to get in your car and drive to the supermarket.
今週はやりごたえのある仕事が忙しくて買い物する暇がなかったからだ。そんなわけで、今仕事が終わった後、車でスーパーに買い物へ行かなければならない。
It’s the end of the work day and the traffic is apt to be: very bad.
仕事が終わったあとなので、道路混雑はもちろんとてもひどい。
So getting to the store takes way longer than it should, and when you finally get there, the supermarket is very crowded, because of course it’s the time of day when all the other people with jobs also try to squeeze in some grocery shopping.
そんなわけで店にたどり着くのにいつもより長くかかり、やっと店に着けばスーパーはとても混雑している。もちろんそんな時間だから、同じ様に仕事を持つ人たちが食料の買い出しを忙しい合間を縫って済ませようとしている。
And the store is hideously lit and infused with soul-killing muzak or corporate pop and it’s pretty much the last place you want to be but you can’t just get in and quickly out;
そして店の中は醜悪な照明に照らされ、ウンザリするバックグランド音楽や商業ポップが流れていて、居たいと思う最後の場所=最も居たくはない場所なのだけれど、サクサクと用事を済ますにわけには行かない。
you have to wander all over the huge, over-lit store’s confusing aisles to find the stuff you want and you have to manoeuvre your junky cart through all these other tired, hurried people with carts (et cetera, et cetera, cutting stuff out because this is a long ceremony)
だだっ広い、むやみに明るく照らされた、複雑な通路の間を歩き回って、買いたい物を見つけなければならない。そして安っぽいショッピングカートを押して歩かなければならない、同じ様に疲れてせっかちな人々がカート押している間を縫って。(などなど、卒業式はただでさえ長いのでこれ以上の詳細は省略します)
and eventually you get all your supper supplies, except now it turns out there aren’t enough check-out lanes open even though it’s the end-of-the-day rush.
そしてついに全ての夕食の食材を集めると、今度は空いているレジの数が不適切に少ない。夕方の買い物ラッシュだと言うのに。
So the checkout line is incredibly long, which is stupid and infuriating.
そんなわけでレジの列はものすごく長く、馬鹿げて腹立たしい。
But you can’t take your frustration out on the frantic lady working the register, who is overworked at a job whose daily tedium and meaninglessness surpasses the imagination of any of us here at a prestigious college.
しかしながらイライラして懸命に働くレジの女性に八つ当たりするわけには行かない。そのレジの女性が散々働いているその仕事の日々の退屈な無意味さは、この一流大学に今いる我々には想像もつかないのだ。
「これは水です」[パート6] 筆者日本語訳
そして、これが本当の、インチキなしのリベラル・アート教育が教えるべき事だと提示したいのです。
快適で、成功に満ちて、恥じることのない大人としての人生を、死んだように、無意識に、自分の思考の奴隷となり、生まれた時からの初期設定である、それぞれの意識に囚われ、完全で、崇高な孤独の中で、来る日も来る日も生きることになるのを、どのように防ぐか、と言う事なのです。
このように言葉にすると、大げさで、抽象的で、無意味に聞こえるかもれしれません。
具体的な例で話しましょう。
ここで言う「来る日も来る日も」が実際にはどんなものなのか、卒業生の皆さんにはまだ体験したことがないのは、明確な事実です。
大人としてアメリカで生きる人生の大部分についての話は、実は卒業スピーチなどでは誰も話しません。
そんな部分とは、退屈な日常の出来事と些細な苛立ちに満ちています。ここにいらっしゃるご両親、そして年配の方がたには私の言っていることが痛いほどお分かりになるでしょう。
例として、大人の人生の平均的な1日はこんな感じだとしましょう。朝起きて、やりがいがある、大卒が就くような事務の仕事場に出勤する。そして8時間から10時間ほど懸命に働く。そんな1日を終えて、疲れて、少しストレスを感じて、あなたは早く家に帰ってうまいご飯でも食べた後、1時間ほどゴロゴロして早めに寝ることだけが望みです。明日はまた同じように1日働かなければならないのです。
しかし、家には何も食べるものがないのを思い出します。今週は、やりごたえのある仕事が忙しいあまり、買い物にいく暇もなかったからです。そんな訳で、仕事帰りの今、車でスーパーに寄って、買い物をしなければならない羽目になったのです。
仕事帰りの車の渋滞は思った通り最悪です。
店に到着するのに必要以上に長い時間がかかります。やっと店にたどり着いてみるとかなりの混雑です。もちろん、その他の仕事を持つ人たちが、忙しい合間を縫って、食料の買い出しを済ませようとしている時間帯なので当然です。
店内は醜悪な照明に照らされ、ウンザリするようなBGMや商業ポップが鳴り響いていて、存在するには最低の場所であります。でもさっさと用事を済ませて出てくわけには行きません。
だだった広く、むやみに明るく照らされた、混乱するような通路の間を歩き回って、買いたい物を探さなければなりません。同じように疲れて、せっかちにカート押していく人の間を縫うように、安っぽいショッピングカートを押して歩き回る事になります。と話は続きますが、卒業式ただでさえ長いので、これ以上は詳細は省略しましょう。
そしてやっと全ての夕食の食材を集め、レジに行ってみると、夕方の買い物ラッシュだと言うのに開いているレジの数が少なすぎます。そのおかげでレジの列は馬鹿げて腹立たしい程、ものすごく長くなっています。
しかし、一生懸命働いているレジの女性に憤懣を八つ当たりするわけにも行きません。働き疲れたレジの女性の変わりの無い毎日の無意味さは、こんな良い大学にる我々にとっては想像を超えるものでしょう。

今日はここまで!次回に続く。
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